42話)
茉莉も頷いて、彼の邪魔にならない程度に書斎を横切り、窓から庭を見下ろす。穏やかな陽気に輝く緑に目を細めて深呼吸した。
(あの時。思いきって話してみてよかった・・。)
話をしてから、河田家での茉莉に対する歩の視線が、だいぶと柔らかくなったのだ。おかげで、この家での居心地がとてもよくなった。
それに、茉莉の努力に答えるかのように宿ってくれた、新しい命にも出会えたのが、嬉しかった。
健康な後継ぎを生んだ茉莉を、悪しざまに言うメイドも、もういない。
(二人目もすぐに欲しいわ・・。)
心の中でつぶやいて、ハッとなる。
お産をして、母親となった女性は、しばらくの間生理がこない場合もある。と、最近茉莉は聞いたのだ。
排卵がないから生理が来ない。受胎そのものもないという事で・・・
何気に思ってハッとなる。
振り返って、
「・・・そういえば、歩さん。初めてここでした夜。あなた、私の生理が終わった日を克明に覚えていたじゃない。
なぜ知っていたの?」
言いながら、マンションの真理と過ごした彼との時間の中で、謎だらけだった事まで思い出す。
なぜ彼が自分に近づいたのかの謎は、歩からの説明で解けてはいたものの・・その他にも不明な点はあった。
大きな問題が真理を惑わせていたので、気付かなかったのだ。
思い返してみると、いろんな事のつうじまがあってこない。
「そうなのよ。写真立てを見た時に言ったコメントも、おかしかったのよ。
『俺、ワンちゃんの亭主に、嫉妬してたのか?』
って、まるで犬の写真を知っていたみたいな言葉。
その後、初めてマンションに来た筈なのに、まっすぐ寝室に向かったでしょ?
どうして家の配置を知っていたの?」
首を傾げて質問する茉莉に、歩はニッコリ笑う。
「意外に聡い所があるのが、茉莉だよね。
今聞くと、茉莉は引くかもよ。もうちょっとしたら・・・そのうち教えてあげる。」
「教えてよ。・・・なぜ焦らすのよ。」
茉莉が眉をひそめて詰め寄ると、歩はケラケラ笑って、
「じらすも何も、茉莉がもっと俺の事好きになってくれたら話すってば・・。
武雄兄さんの事を、これっぽっちも想わなくなるくらいにね。」
と、答えるのである。
「またそんな事言う。
私、武雄さんの事、なんとも思っていないって言ったじゃない。」
「武雄兄さんを憧れない女はいない。」
言いきった彼の瞳は、ゆるぎのないものだった。
生まれた時から存在した兄の存在は、意外にも彼の中では、大きいものとなっていたのかもしれなかった。
彼に対する劣等感は、すごいものがある。
それにア然となりながらも、
「私は、あなただけを見ていたのよ。」
真摯に訴える茉莉の瞳を、これ以上ないくらいに愛おし気に見つめて、
「・・・口では何とでも言えるさ。
みんな武雄兄さんの正体を、知らないんだから憧れるんだよ。
兄さんと結婚した友美と、俺だけが知ってるんだけれどね。
実は兄貴こそ、大変態なんだよ。」
コッソリと、内緒話をするかのように、歩が言う。
「・・・制服フェチっていうかね・・・。
特に友美に対する執着はすごかったよね。
どこがいいんだか、俺にはさっぱりわからなかったくらい。
でも、俺も人の事言えないか。・・・一人の女にのめり込むタイプなのは、兄さんにも負けないから。
ひょっとしなくても、河田の男達の共通点みたいなものかも知れない。」
言ってくる内容はおかしい。と思ったのだ。それこそ眉をひそめて、
「あなたは武雄さんとは違うじゃない。
ここのメイドに手をだすわ、学生時代の友達だって連れてきた女性とも関係あったでしょ?
何言っているのよ。」
と、膨れた顔をして茉莉がたたみかけてゆくと、歩は愉快気に瞳を揺らした。
「嫉妬してくれてたの?」
「・・・嫉妬だなんて・・。」
「そうだとしたら、とても嬉しかったんだけれどね。
実は、茉莉を抱かないって決めたのはいいんだが、頭で分かっていても、体がダメだったんだよ。
同じ屋敷内で住むのは辛かった。
俺達の寝室で眠る君を、何度犯しそうになったか分からないくらい・・。
真理に会うまでは、確かに見境いなくなっていたのは事実。」
「嘘・・。」
「嘘なものか。証拠に初めて真理を抱いた時は我を忘れたよ。
それに、結構長い時間ベットの上で一緒に過ごしたろ?
他の女とは、したら終わりだ。共には過ごさない。
時間が惜しいからね。」
「・・本当なの?」
問いかける茉莉に、歩はクスクス笑う。
「本当さ・・・そういう点も、兄さんだって同じだったかな。
兄さんも、友美とはちょっとでも長い時間、共にいたかったようだから。
でもやっぱり兄さんの方が大変態だ。
・・友美には、変な格好させて楽しんでたからね・・・。
ひょっとしなくても、兄さんと結婚したら、茉莉にも同じ事してきたかも。
・・・茉莉は耐えれたかな?」
いたずら一杯な瞳を向けてくる視線に、顔をしかめながらも、
「・・・そんなの・・知らない。」
と、つぶやく茉莉に
「あの時、なぜ部屋の配置とかを知っていたかは、いつかね・・・茉莉にはすべてを話すつもりではいるから。
話すだけじゃない。証拠のモノだって見せてあげるよ。」
言って彼は茉莉の体をかき抱く。
イスの上にまたがる形になった体勢で、
「証拠のモノ?」
問う茉莉に、
「そうさ。茉莉とそれを見て話ができるようになれるのが、俺の夢なんだ。」
キラキラした瞳で見上げてくる歩に、茉莉は自分の方からキスを落とした。
そして言ったのだ。
「じゃあその夢は、私も一緒だわ。・・・だから見せて。それを。」
真摯に頼み込む茉莉の姿勢に、さすがに歩の瞳が揺れる瞬間を、見逃さない。
「・・お願い。あなたの事を、嫌いにはならないから・・。どんなことだって、私は受け入れるわ。」
「・・・本当なのかい?」
「ええ。」
ハッキリ断言すると、歩は少し考え込んで、決断したかのようにうなずいた。
そして、
「じゃあ、見せてあげる。でも、嫌いにならないでよ。」
自信なげに瞳を揺らす歩の目を見るなんて、初めてだった。
(こんな顔をするくらいのモノって、一体何なの?)
何が隠されているのだろう。
茉莉は、すこしだけ恐怖に近いものを感じるものの、ここで聞かずに、いつ問うのだ?と思って、彼の瞳をしっかり見つめ返した。
茉莉の気持ちを受け取った歩は、やっとうなずいて、
「ちょっと立ってくれる?」
と言ってこられてハッとなる。
茉莉の体は、イスに座る歩にまたがる形で座っていたから。これじゃあ、歩も立てないはずだ。
慌てて彼から離れて、促されるままに書斎の壁に向かって歩く。
その壁一面が、収納スペースとなっていた。
まるでクローゼットのような形式の扉のノブを、彼は開けた。
たくさんの書物と紛れるようにして、“ある物”が収納されていた。
ビデオテープだった。
一本一本テープには題名が付いている。
一番端には『河田家、高野家、両家の結婚式』と書かれたラベルのビデオテープだった。
けれど、その他のビデオテープには・・・。
『部屋を掃除する女。』
『昼寝する茉莉。』
『食事をする茉莉。』
だったのだ。
そして・・・茉莉の文字が、真理に変わる。
『夕飯を作る真理。戸惑った顔。』
『花を生ける真理。』
『一つになれた日。』
マンションで暮らす茉莉を、知っていただけではなかった。
歩は盗撮していたのだ。
これはまるで、コレクションそのものだった。
「・・・いつの間にカメラを仕込ませたの?」
一瞬、絶句してからようやく言葉が出る茉莉に、歩は当時の事を思い出したようだ。
思い詰めた瞳で一点を見つめ、
「別の女の名前で部屋を借りた君は、ペアのマグカップ。二脚のイスにテーブル。ダブルベット・・。
男と会うために用意したのだと思ったからなんだ。」
「・・・・。」
歩の言葉に、とっさにあいづちが打てない。
ペアのマグカップやダブルベットを購入したのは事実だったから。
けれどそれは・・・。